第八回 山井 太 氏 × 殿内崇生 × 岡部祥司

株式会社スノーピーク 代表取締役
山井 太(やまい とおる)

1986年に株式会社スノーピークに入社し、アウトドアをライフスタイルととらえ、スノーピークをオートキャンピングブランドとして展開。

オートキャンピングのパイオニアメーカーとして日本のアウトドアシーンを革新する。

1996年に社長に就任。国内での全国展開はもとより、北米・ヨーロッパ・アジア・オセアニア地域に営業を展開し、新潟燕三条からの情報発信を行う。

創業以来貫き通す「自分たちもユーザーである」との原点から、ミッションステートメントとして掲げる“The Snow Peak Way”のもと、革新的な新製品の開発を行い、人間と自然が豊かにふれあえるライフスタイルの提案として、徹底的にユーザーの立場に立ったプロダクツやサービスを提供し続けている。

2013年には、日刊工業新聞主催「第31回優秀経営者顕彰」において最優秀経営者賞を受賞。2014年自身初の著書となる『スノーピーク「好きなことだけ!」を仕事にする経営』を執筆。また、2014年12月に東証マザーズ、2015年12月に東証一部へ上場を果たすなど精力的な活動を続けている。

殿内理事長

本日はお忙しい中、お時間を頂きまして誠にありがとうございます。山井社長は青年会議所の先輩でもあるので、青年会議所に紐づいた質問もさせて頂きたいと思いますので宜しくお願い致します。また、今回のトノセッションでは私たちの先輩であり、山井社長とも繋がりがあります第61代理事長の岡部先輩も同席して行わせて頂きますので、宜しくお願い致します。それでは対談を始めさせて頂きます。

先日山井社長が対談されている書籍を拝見させて頂いたのですが、1985年に実家に戻られてお父様から会社を引き継ぎ、1996年に三条青年会議所の理事長をやられたのですが、私も今は父が社長をやっていて、いずれは会社を継ぐというのが目標です。本日同行してきているメンバーも2代目、3代目というのが多いのですが、山井社長にまずお聞きしたいのは、青年会議所に所属している時にどんな気持ちで活動されていたのでしょうか。山井社長が青年会議所現役時代に、どんなことを考えながら仕事と青年会議所をやられていたか、まず教えて頂けますか。

山井社長

私は燕三条に戻ってきたのが1985年位で、3年位青年会議所に入会せずに普通に仕事をやっていて、1989年に青年会議所に入会しました。多分入会して2年~3年位は私にとって、青年会議所と仕事は別々の物でしたが、3年目くらいから青年会議所も仕事も、基本的には「自分がどうするか」ということで悩んだなというのがあって、何が起こったのかは分からないのですが、自分の中でそうやって考えが変わり、それから仕事から見た青年会議所っていうのは、違う視点を持てました。

例えば我々の事業には社会的な価値があるのかといったアプローチでものを考えられるし、青年会議所に対しては我々の仕事がどういう風に貢献できるのかといった両方の面からお互いの活動を考えることが出来るようになりました。もう一つは皆さんもそうだと思いますが、入会2年目位までは家庭に於いて、青年会議所に行くと妻が機嫌悪かったです。ほとんど妻には理解して貰えなかったのですが、3年経った時に家庭も含めて自分がどうするのか、自分はこういう気持ちで青年会議所をやっているのだとか、子供達の為だったり自分の中で自分の住んでいる「ふるさと」というのはいいまちだと思われることが私の人生の中で一番の贅沢だと思っていることを、妻に話したりして、最終的に妻が青年会議所頑張りなさいよと言ってくれたのは理事長をやった年でした。そういう部分で言ったら、自分が主体的にどうするかということを考えることが、家庭と青年会議所と仕事という3つで自分が一番学んだことだったのかなと思います。

殿内理事長

私も今は理事長という立場で話しますが、仕事と青年会議所の中で、仕事に対する後ろめたさみたいなものがある人はきっといると思います。当時はそういう感覚はありましたでしょうか。

山井社長

最初1~2年はそうでしたね。基本的には青年会議所に入って自分自身は楽しかったので、楽しいというところがメインになっていて、あまり家庭も仕事も省みなかった。そういう部分で言ったら、仕事もおろそかになったかもしれないし、家庭もおろそかになっていたかもしれません。

殿内理事長

青年会議所に入られる前のお話ですが、商社で働いてこられて、戻られた時は会社をこうしていこうとか、どういったビジョンを持って仕事に取り組んでいたのでしょうか。

山井社長

私は基本的には生まれてからここで育っていて、産業都市ではありますが、新潟という地方の都市なので基本的には田舎です。そこで育って、小さいころから自転車で川に行って、カジカ(河川に生息する淡水魚)を突いて、たき火で焼いて食べたりしていました。そういう意味では町の子よりはわんぱくだったし、自然とは関わりを持ちながらキャンプもしていました。大学生とサラリーマン時代の8年半は東京にいて、凄く自分自身が自然に対して枯渇感があることに気付きました。人間らしい生活ができていないなと。サラリーマン時代非常にハードワーカーだったということもありますが、何か自然の中に自分の身を置きたいというのがあったりしました。

そういう風に感じていて、時代的には80年代の中盤くらいで日本は経済的に成功していて、『ジャパン・アズ・ナンバーワン』という本が出たり、経済的な指標としてGDP等が上がっているけれども、国民生活が豊かなのかどうかというと何か違うなとか、国民生活はそんなに豊かではないなと思うことがありました。例えば車の登録台数の10%が当時4WDの車で、その時は三菱自動車の4WD車が凄く売れていて、車にサーフボードをねじ止めして走っている車があったりしたので、マーケッター的な部分で言ったら、キャンプとかをやれば当たるのだろうなと思ったりもしました。

岡部先輩

その時代にそういう話を同僚や周りの人にしても「そう?」という感じですよね。バブル全盛の時なので今なら分かります。そういった思いは、やはり当時周りと共有できないものですか。

山井社長

やはり自分自身が田舎の子で、東京に行って自然に枯渇感があった。自分の中のユーザーというのがそう思わせていたと思います。青年会議所の理事長をうけた時も何かこういうことをやるから理事長をうけるとか、こういうことをやりたいから転職するとか、目的がないとアクションを起こせないです。三条青年会議所の理事長の時は合併問題に取り組んでいて、「燕三条市をつくる会」というのを立ち上げてやっていました。スノーピークに入る時は、新規事業をちゃんと企てて事業化するというのが目的で転職をしました。

殿内理事長

外からスノーピークを見ていていかがでしたか。

山井社長

その時は1986年でスノーピークは実態的には釣り具メーカーでした。父がロッククライミング好きだったので登山用の道具も作っていましたが、年商約5億円のうち4億円位は釣り具を売っていて、何業かといったら釣り具メーカーでした。その事業自体は私がやらなくても回っていて、売上5億円位でしたが、営業利益と経常利益は4000万~8000万は出ていて規模は小さいですが利益は出ていました。この事業には参加せず、新規事業としてオートキャンプを立ち上げるに至りました。5年後位には年商20億位の会社になりました。

岡部先輩

理事長の時に「上場する」と発言されていたとおっしゃっていました。凄いと思います。

山井社長

発言してから時間がかかりましたが、新潟県の青年会議所の先輩で上場会社の社長さんが二人いらっしゃったのですが、青年会議所の理事長なんかやっていたら上場できないみたいなことを先輩から随分言われました。理事長ばかりやっていて青年会議所バカになっていると上場は出来ませんよという空気でした。自分が唯一初めて理事長をやってから上場すると言いましたね。逆に青年会議所を一生懸命やって仕事しなかった人もいる。そういう人を見て先輩方は、青年会議所を一生懸命やっていると仕事できないよ、会社を潰すなよ、ということを言われていました。

殿内理事長

横浜青年会議所は入会が浅い人が比較的多く、これから青年会議所で活躍して頂く方も多い為、是非アドバイスとして頂きたいのですが、青年会議所の中でこれを得たな、青年会議所をやっていたからこれが良かったなということはありましたか。

山井社長

仕事だけやっていたら出来なかった発想力としては、やはりまちづくり的な視点です。まちづくり的な視点からものを見つめる癖が付いていて、スノーピークのビジネスも言ってみれば社会問題解決型の企業なので、高度な文明社会の中に生きていることに対して、人間性を回復させることがミッションだと思っている。そこに気付いたのも青年会議所で活動をしてきたからなのかもしれないですね。社会的な存在とは何なのだろうと考えて、人間性の回復という言葉に気付いて、火山があるとすればマグマの部分が人間性の回復、取りあえずオートキャンプがきてそれを水平に連峰にしていく。でもコアバリューから外れてはいけない。そういう考え方ができたのも青年会議所に携わったからかもしれない。あとスノーピークは熊本で災害復興支援のボランティアをやっていますが、ボランティアに行った時の現地で青年会議所のOBに会ったりして横の繋がりでちゃんと災害支援ができたりとか。皆さんはやらないと思いますが選挙のこととかで三条市長の後援会の幹事長をずっとやっていて、自分のふるさとに対して責任を持つ意識とかあります。あとはスノーピークでカンブリア宮殿などのテレビ番組に出たりすれば、きっと燕三条という地域が知名度も上がるし、地場とスノーピークとの双方でいい関係になる。そういうことも青年会議所をやっていなければ分からなかったですね。青年会議所をやっていなければあまり関係もない。貰うだけ貰っておいてあげないで終わるみたいな関係になっていたと思う。

殿内理事長

三条青年会議所ではやはりものづくりの会社の方が多いですよね。

山井社長

そうですね、基本的には製造業が三条市・燕市で2,000社位あります。もちろんサービス業が数的には一番多いですが、他の地域に比べると製造業の比率が高い。

殿内理事長

今日私は早めに着いて産業資料館に行かせて頂いてその時タクシーの運転手さんもおっしゃっていたのですが、工業団地がそれぞれあって、研きを専門にやっているところだとか、曲げを専門にやっているところだとか、分かれている。もっと駅前にどんとあると思ったのですが、燕三条イコール洋食器といった学校で教わるようなイメージがあって、意外と駅から離れたところに産業拠点があると感じました。まちとしてネットワークのような、工業会のようなものはあるのでしょうか。

山井社長

ネットワークはありますね。私も理事長をやったその年までは燕三条青年会議所ではなくて三条青年会議所と燕青年会議所で分かれていました。私はその次年度の時に「燕三条市をつくる会」というのを立ち上げて、青年会議所メンバーが一番嫌いなことで、地べた這いずりまわって署名を集めることや有権者の半分の署名を集めることに専念しました。それは私しかできないと思ったからです。私が理事長をする前から合併運動を14年間やっていましたが、実現に向けた地道な活動は誰もやっていませんでした。ある意味私は合理主義者なので進まないのを進めるのが自分の役目だと思いました。署名を過半数集めたら正義はこちらにあると考えてやってもらったのですが、2年かかって過半数集めました。私らの時は青年会議所がやることは、まちにとって良いことが沢山ありました。今、市民の人たちに伺うと、「山井さんたちの頃の青年会議所は凄く存在感があったけど、今の人たちはね。」と言われることがあって少し悲しい気持ちになる。あと例えば、理事長になった時の総会の記事は地元紙では勿論一面トップでしたが、今は三面になってしまっている。昔は一面トップニュースだった。だからそれ位青年会議所の社会的存在感が無くなっているのだと思います。

殿内理事長

その青年会議所の社会的存在感はどういう形で築けていたのですか。

山井社長

要は会としての趣旨や目的が、私達の時は燕三条市をつくるというのが一番のまちづくりで、リーダシップや、ひとづくりというのもやっていたけれど、一番は合併運動でした。そこが目に見えていて、過半数集めるわけだから、取りあえず全員の有権者のところへ行っていました。当時の燕青年会議所・三条青年会議所のメンバーが1人あたり250人集めると過半数にいくのです。私は2週間位で500人集めました。私はもともとトップセールスマンだったので、ノルマを課されるとすぐやりました。当時の専務理事も、日本生命の人のトップセールスマンだったので2週間で二人合わせて1,000人集めました。

殿内理事長

確かにトップがやらないと周りが動いてこないですよね。

岡部先輩

コアバリューの考え方はスノーピークに戻られた時にお持ちだったのですか。どのように出てきた考えだったのですか。

山井社長

1998年からキャンプのイベントを始めて、その時にユーザーさんのご家族が凄く幸せになっていらっしゃるのがつぶさに見えました。家族はお父さんとお母さんと子供がいて、お父さんも一人の人間だし、お母さんも子供も一人の人間で、キャンプ場で見ていると本当に子供達はハツラツとしているしわんぱくさも出ていてピカピカになっていて、この子達が都会に帰ったらこんなにピカピカしているのかなと思い、お父さんやお母さんとキャンプの時だけこんな顔を子供がしていが、家庭にいる時はそうでもない。しかしキャンプを通してピカピカしているところが出てきて、少しは日常生活も変わってきているとか、分析的に見ると家庭生活の中でキャンプみたいに例えばチェックインからチェックアウトまで24時間あるとしたら、24時間一緒に家族がいるわけで、日常の家庭生活では24時間あっても親子は仕事や学校などで一緒にいないのだなと考えたりして、家族の絆や共有する時間の濃密度があまりないなと思ったりしました。

あとはコミュニティといったことを考えると、うちのキャンプイベントには毎回100組位が来ます。ダッチオーブンでお料理を作って、作りすぎてしまった時に近くの家族に差し入れをしたりします。そして次の日の朝に差し入れのお返しが来たりして、ご家族同士がお友達になったりします。設営を一緒にしていたら、子供達が勝手に遊び始めます。子供が一緒に遊び始めると、親も一緒に仲良くなる。そういった風にコミュニティが出来るんです。そういうのを見ていて、自宅に帰ったら周辺にこういった差し入れを互いに行うようなコミュニティはあるのかというと無いと思います。でもキャンプの時にそういったコミュニティに戻るというのは、もともと人間ははそういうコミュニティーをつくるものだと思うんです。文明社会の発展によって阻害されているだけで、そういうことを見ていると社会問題だなと考え、解決が必要だなと思う。

殿内理事長

やはりやりながら色々見て、次の手を打つという感じなんですね。

山井社長

そうですね。だからキャンプのイベントを始めてから、これは人間性の回復なんじゃないかなと思いました。

岡部先輩

キャンプのイベントを始めようと思ったそもそもの経緯は何ですか。

山井先輩

キャンプの一回目のブームが一気に来て、売上が5倍になって25億円になったが、その後6年間売上を落とし、14.5億円まで落ちました。私が理事長をやったのは3年売り上げを落とした時と一緒の時期でした。業績が回復する兆しもないし、この状況を打開するために、どうすべきか考える中で、キャンプイベントの開催を思いつきました。自分たちの存在意義は何かと自問自答する中で、やはりユーザーさんの笑顔を見ること一番大事で、その笑顔を見ることで何かのきっかけがつかめると思ったのです。それがキャンプイベントを開催するようになったきっかけで、それいらい18年間ずっと続けていますが、キャンプイベントでユーザーさんとの交流があったから今のスノーピークがあると思っています。

岡部先輩

それでそれを回復させるための手段の一つとして、色々なことをやっていく中で、ユーザーさんと話す機会も増えて、見えるものがどんどん増えていったというお話なのですね。

殿内理事長

自分で考え込むよりも、やはり現場で色々見ていくということなのでしょうね。

岡部先輩

先ほどの青年会議所で署名を集めるというのも結局、世の中を変えるには地べたを這いずり回らないといけないという判断で、うまくいくか分からないけれどやっていくと色々な方の声が聞けたりすることが、最終的にはこちらのゴールとして認識している結果になっていく。多分キャンプイベントも一緒なのでしょうね。そうしているうちに、キャンプイベントの参加者の「楽しい」が口コミでどんどん広まって、今となってはFacebookでは15万人「いいね!」ですよね。

殿内理事長

マーケティングみたいなものはされないのですか。

山井社長

他社分析、他社比較のようなマーケティングははしたことがないです。うちみたいな会社は無いですし、オリジナルにこだわっている会社なので、他の会社と同じようなことはしたくないですから。。

殿内理事長

私も製造業をやっていて、車の特装車でパトカーや消防車を作ったり、そういうものに部品を作ったり付けたりしているのですが、山井社長の会社というのは製品を100%保証するとありました。これは製造業ではなかなかできないことだと思いました。どういったことなのでしょうか。

山井社長

あまり難しいことではないです。私達はメーカーの人間でBtoCのビジネスをやっていて、消費者の方から見たらスノーピークの製品は他のブランドと比べたらかなり品質が良いということを伝えたい訳です。ですが、品質が良いということを説明するのにはかなりの時間を要します。どんなに説明しても相手はピンとこない。でも永久保証が付いていますと説明したとたんに、それは凄いとなるので、一発で説明が済みますよね。

殿内理事長

何かあったら交換するということですね。

山井社長

そうです。分かり易い方がいいなと思っていて、そんなに難しくなくて、素材の経年劣化は保証の対象ではないですが、製造上の欠陥であれば無期限で保証します。経年劣化は仕方ないですが、製造上の欠陥が起こらないようにマネジメントすることはできる。それはどういうスペックをその製品に与えるかによると思います。例えばテントであれば、1インチ四方の縦糸を何本、横糸を何本打ち込むかと決めればいいことで、他社よりも20%打ち込み本数を増やせば丈夫になる。雨対策でも1,800mmの耐水圧であることをギャランティすれば、他社は1,800mm分のポリウレタンをかけて対策するけれど、スノーピークは5,000mm分のポリウレタンをかけて、例えばこの生地のどこの一点をとっても1,800mm以上の耐水圧性能を担保しているので、他社と同じ表記でも3倍位の耐水圧性能があるのです。それは私達がちゃんとユーザーとしてものを作っている会社なので、実際にここで豪雨があった時にどの程度の耐水圧であったら雨が漏らないのか、あとはシームテープを貼るとか、色々な方法で品質を作り上げていけば、永久保証を付けられるようになるのです。

うちの開発の社員達は、美術大学のプロダクトデザインなどを卒業してくる人が多いのですが、入社した瞬間から永久保証を付けている製品を担当するので、まずは永久保証が付いている意味を理解してもらい、作ったものが製造の欠陥で何かクレームが来たら全て返品になってしまうことを説明しています。だけど、そんなに難しくなくて、ちゃんと実験やフィールドテストを繰り返して品質を作り上げていけば問題はないのです。

殿内理事長

フィールドテストは大事です。スノーピークの方々はテントで年間50泊、60泊とされている。そういった実績や実験が大きいのでしょうね。

山井社長

世の中にテントに年間50泊、60泊もしている人はそういない。自分が60泊して使ってもOKな製品であればほとんどの人にとってもOKなんです。私より多く使わないわけだから絶対大丈夫だと思う。

殿内理事長

話は青年会議所の話に戻りますが、今のご経験や今のキャリアを持ったまま青年会議所に仮に戻ったとして、どのような活動やビジョンを持たれて青年会議所をやられますか。また青年会議所の存在感の低下の理由はどのように解釈されていますか。

山井社長

今の燕三条青年会議所は燕三条市を作れるようなパワーがないと思うので、私だったらもう一度、燕三条市の合併運動を起こしますね。燕三条青年会議所は設立したときの理念として、燕三条市の設立を目指して三条青年会議所と燕青年会議所を1997年に統合しました。現在では統合した時の理念というのが失われていると考えます。組織としての青年会議所とか日本青年会議所の綱領というものは残っているものですが、燕三条青年会議所の創設の理念というのは無くなってしまっています。

殿内理事長

まさにコアバリューですね。

山井社長

何年に一回かは少し元気な理事長が出てきて、合併問題とか燕三条市に拘りますと言って、理事長所信で触れていますが現実できていない状況です。一番簡単なのは、三条側はマジョリティを持っていて、ずっと賛成の立場を取っている。しかし人口でいうと三条市が約10万人、燕市が約8万人なので、合併すると立場的なものなどが調整しづらいところもありますが、選挙というのは最も民主主義的な手続きなのだから、それを使えばいいのに使わずにずっと「燕三条市に拘ります」と言っていて進んでいない現状があります。

岡部先輩

最終的にそれがまちにとっていいことになるんだと本気で思っているかどうかですよね。

山井社長

自分たちの考えが間違っていると思えばやはり行動出来ないし、どう考えたって一個のまちの方がいいと思います。10万人と8万人で分割された自治体で、丁度駅のあたりが境界線なんです。あのあたりは両方が手出し出来なくて、アパートとか沢山建っていて、都市計画も無い状態。あと、県からしてもラッキーで、燕三条市になっていればもっと予算を付けなければいけないけれど、中核都市でも何でもないので、新潟・長岡・上越の3つの地域の中心にお金と人を落とし込めばいいと思っている。

岡部先輩

燕三条というブランドは、日本の中では工業的なイメージを認識しています。

山井社長

私も三条市と言ったことは一度も無くて、メディアに出た時は燕三条と言っています。

殿内理事長

やはりイメージは燕三条ですよね。例えば鋳物のまち、ものづくりのまちといったイメージが定着しつつある感じがします。横浜のまちはどのような印象を持たれていますか。また、横浜のまちの可能性をどうお考えですか。

山井社長

横浜のまちは、ハマっ子が横浜を愛しているなと思います。みなとみらいに私達がお店を出した時に、「やっと横浜にお店を出してくれたから今度は買います」みたいな、横浜に来ないと買わないみたいな意見があった。私達がお店を運営する意味でフィードバックを受けている点でいうと、横浜にユーザーさんはもともと沢山いらっしゃったのですが、お勤め先が東京だったりして、東京都内で買ってらっしゃった方が多かった。ずっと横浜に店が無いことが理解できなかったけど、横浜をスノーピークは相手にしていないのか、こんな世界一素晴らしいまちに店を出さないなんてどういうことだと思っていると感じました。店を出すまではそういう事をおっしゃらないのですが、出してからはそういうことをおっしゃる方が多かったです。やっと沢山買えるようになったとおっしゃっていました。

岡部先輩

横浜の人は、横浜を好きというより他のところに負けたくないということが強いと思います。比較対象に対して敵対心を持つというか、特に東京に対しては持っていると思いますね。

山井社長

それはどこか神戸と大阪の関係に似ている。神戸も横浜も港町でキャラクター的には外国人がいたり、やはり素敵なまちですよね。あとは港に対して開かれたまちという感じがする。地元愛も神戸の人と横浜の人は似ていると思う。

岡部先輩

どこのまちに行っても出ているものは一緒になってきているから、どこに行ってもあまり差別化が出来なくなる。商店街も紋切り型になってしまう。横浜がそうなってしまったら弱いですよね。何も無いまちであればやるしかないと尻に火が付くのだろうけど、横浜は域内経済が回っているので、やらなければいけないからやろうみたいな空気感があるように思う。東京のことを横浜の人が非難することもあるけど、東京の人に横浜で買って貰っていることもあったりする。横浜の中の近隣エリアで商売が成立している企業が多いから、横浜青年会議所も上場企業の方が少なかったりするのかもしれない。

殿内理事長

そこで食べていけるし、そこに気を使っていますよね。

岡部先輩

横浜もいずれ人が減る。他の地域でこれから人が減ることに対して何かやっていこうとしているのに、横浜はまだ大丈夫で5年くらい増えるといっている。それが終わってから、今から15年後位が今度は大変になるのではないかと思う。

殿内理事長

次の質問ですが、山井社長は理事長職をやられた先輩ですが、もし山井社長が横浜で理事長職をやるとしたら、どういったことをやったら良いと思いますか。

山井社長

青年会議所は総論をやる団体ではないと思っていて、各論をちゃんとやっていかないといけない団体と思っています。横浜のことをよく知らないので、これといった細かい各論は言えないのですが、何か一点突破的な課題を見つけて、それを事業にして集中することだと思います。燕三条の私の後輩で、カレーラーメンを押している人がいるんですけれど、最初に彼がカレーラーメンと言ったときは異様だなと思って、何で青年会議所がカレーラーメンなんだろうと思ったのですが、もうずっとカレーラーメンだけをライフワークとしてやっているから、カレーラーメンというのが燕三条に行けば食べられるという1つのキャラクターになりました。そうなったのは、彼の功績だと思います。こういうのは全く総論ではないですよね。カレーラーメンでまちづくりっておかしいじゃないかと、私も含めてみんな思っていましたが、カレーラーメン音頭とかユーモアがある曲を出したり、ちゃんとそういうまちになった。今彼はカレーラーメン王国の国王とか自分で言っています。一個のことを突き抜けてやるというのは若者しかできないし、総論的なことは行政に任せてしまえばいいことです。あとは発想力ですよね。こういうことやったら面白いんじゃないか、これをやったら少し我がまちはこっちに行くんじゃないかと考える。まちの個性もあるし時代もあるから横浜のことをよく調べれば何かあるかもしれない。

殿内理事長

一点突破というのはあまりないですよね。

岡部先輩

そもそも、ここにこんな規模の本社を作ろう思ったのも凄いことですよね。

山井社長

ここは雪が2m位積もるので一年に二回位、遭難しそうになります(笑)。一番降る日は一日で50cm位積もる日があります。朝は除雪が来るので、取り敢えず通勤できるのですが、その後50cm降って、除雪が来ないと軽く遭難のようになります。その時、みんなで「ここに会社を作った俺たちが悪いんだ。除雪が来なかったら雪中キャンプでもしようか」と言っています。大抵は除雪に来てくれるんですが。

殿内理事長

休日の過ごし方を教えて下さい。また、本は読まれますか。好きな武将はいますか。織田信長はお好きですか。

山井社長

信長は革命的とかクリエイティブな人だと思います。本は沢山読みますね。今は読む暇が無いので、買って積んでおく感じです。本は感覚で選びます。アマゾンで買ったり、キンドルでも読んでいますね。最近読んで面白かったのはフライフィッシングの本です。最近、サーモンフィッシングを始めて、フライフィッシングは単純に投げてやるものですが、ダブルハンドの大物を釣るロッドがあって狂ったようにやっています。日本語の書籍が無いから洋書のキンドル版をいっぱい買っています。面白いです。

殿内理事長

スノーピークのブランド力は、ブランド力を付けようとして経営されてきたのか、後から付いてきたのでしょうか。ブランド力を維持しようとしていることはあるのでしょうか。

山井社長

サラリーマンの時にブランド、主にスイスブランドを輸入する会社に居ました。それはブランドマネジメント的なことを学びたいのもあって。今その会社はもう無いのですが、カルティエ、シャネル、ロレックス、IWCとか、当時のブランド時計の半分位をその会社が輸入をしていて、社員は500人位、500億円位の会社でした。ディビジョン(部門)は50位あって、ブランドをどうやれば潰れ、どうやればうまくいくのかを見てきました。その会社は商社だったので、1つのブランドがダメになったら違うブランドを引っ張ってきてやればいいのですが、スノーピークは製造業なので一回潰すともうダメです。なので、やってはいけないことだけはちゃんと規定しようと思って、そこは厳格にスノーピークに入ってからは決めました。例えば他社の真似は絶対しないとか、永久保証が付いているので壊れる物を作らないとか、そういったことをちゃんとやってきました。メーカーブランドとしては、私のブランドマネジメントによって、ある程度のモノブランドになったと思うのですが、今スノーピークはモノブランドを超えてコミュニティブランドになっている。ユーザーさん同士のコミュニティがブランドになっていて、だから15万「いいね!」になっている。他のアウトドアブランドと比べて当社だけ突出して「いいね!」が多いのは、お客さん同士が繋がっていって、一緒のお友達が出来ているブランドなので、そこの価値が高いと思っていて、それは目論んで作ったものではないです。たまたまキャンプのイベントをうちが主催して20年位経っているのですけれど、そのキャンプのイベントの中でご家族が繋がったりしていました。フェイスブックが来る5年位前からうちはSNSを自前でやっていて、スノーピーククラブというクラブを作って、その中でお客さんが繋がっていって、リアルでも繋がるような仕組みです。ある意味今の時代を凄く先取りしていました。そのコミュニティがうまくいっていたので、フェイスブックが日本に来たのが2008年、スノーピーククラブは2003年に出来ていて、フェイスブックとは繋がっていないので、急にフェイスブックが来た時に繋がっていなくて凄く困りました。今はフェイスブックにのせかえていて、15万「いいね!」になりました。それはキャンプのイベントを通してだったり、私でいえば父がアウトドア好きだったので、「父から子供へ」ですね。アウトドアというのはやはり本物だと思っていて、本物は人から人にしか伝わらないです。フェイスブックも人から人へ繋がる手段なので、非常に我々のビジネスと親和性が高いと思います。

熊本に行ったレポートをフェイスブックにあげたら、私は友達が4,600人位、フォロワーは3,000人位いて、今までで一番多い6,000「いいね!」を貰いました。やはりみんな熊本に立ち直ってほしいと思っているし、何かしたいけどスノーピークが先に行ってやっていることに対する賞賛なんですね。

殿内理事長

これからやろうとしている新たな方向性はありますか。

山井社長

今スノーピークが仕掛けているのは、アーバンアウトドアです。まだアウトドアの会社だと思われているのですが、私達のビジネスのコアバリューは先ほど申し上げた通り「人間性の回復」なので、どうやって人間性を回復させるかと言うと「人と自然を繋ぐ」ということです。今まではキャンプのビジネスを中心にやってきて考えたことがあって、もしうちがマーケットシェア100%を取れたらどうなるのか、そうすると日本人の人口の6%だけ癒せるのです。ただ、アウトドアのビジネスだけやっていて人々を癒そうと思っても、94%は癒せないです。キャンプをやっていると人は凄く癒されていくので、6%は取り敢えず良いのではないかと思います。どちらが危ないかと言えば、キャンプをやらない94%が危ないと感じます。キャンプをやらない人達を癒せるようなビジネス展開を始めています。当社の内部用語でいうと「アウトドア」と「アーバンアウトドア」が柱としてあり、その両方をつなぐブリッジ役としてアパレル事業を展開しています。スノーピークは違う面からみると実態はデザイン業です。製造業と言っているけれど、社内で作ったのは焚き火台という製品だけで、実際はデザイン業です。カタログも社内でデザインして作っていますし、Webデザインも、勿論プロダクトデザインもデザインは全部社内でやっています。アパレルのデザインも社内でやっています。当社のデザイン力が優れている例として、2014年の秋冬位から本格的にアパレルに参入して、一番最初に買ってくれたのが米国ニューヨークの有名セレクトショップや百貨店でした。最先端ファッションの情報発信基地であるニューヨークの専門店・セレクトショップの人達が一番最初に買ってくれたのです。何故かというと洋服としてデザインも品質もいいからという非常にシンプルな理由です。私らがアウトドアのギアで海外展開した時もやっぱりアメリカで一番力がある専門店のバイヤーたちが一番最初に買ってくれました。アパレルでも同じことが起こっている。たまたまその有名セレクトショップは日本の有名セレクトショップの提携先ですが、日本のセレクトショップは1シーズン遅れて東京でスノーピークの取り扱いを始めたんです。彼らがベンチマークしている世界で一番セレクト能力の高い人達が最初にうちの洋服を買い、それを見てしか判断できない日本のセレクトショップは「あ、スノーピークだ」と気付いて、日本でスノーピーク製品を取り扱う。今年は新宿ルミネさんや銀座の東急プラザさんからも出店要請をいただき、3月に直営店をオープンしました。出店したいと思ってもなかなか出店できない同社から好条件で出店要請がいただけたことも当社製品に対する評価が高いことの表れだと自負しています。

殿内理事長

この度は、ありがとうございました。スノーピーク様にご協力頂いている第35回横浜開港祭は6月1日(水)・2日(木)に開催されます。会場内で参加者に野遊びを体感して頂きたいと思っておりますので、ご協力の程宜しくお願い致します。

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対談後記 

今回は、横浜開港祭の際に開催される「はまっ子スクール2016~野遊びランド~」にご協力頂くスノーピークの山井社長にお会いさせて頂いた。燕三条の本社にお伺いさせて頂いたが、自然に囲まれた場所でいかにも新しいアイディアが生まれそうなそんな本社だった。今回、はまっ子スクールにおいてキャンプを通していや通常のキャンプではなく、都会の公園内にて行うキャンプで、子どもたちにとって良き想い出ができる機会になればと思う。また、この経験が山井社長は、三条青年会議所(現燕三条青年会議所)のOBでもあり、青年会議所の先輩がビジネスで活躍されている姿は、私にとっても刺激的であった。

殿内崇生

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